クレジット・サラ金・ヤミ金や生活に困ったら高松あすなろの会 - 『あすなろ通信』2017年10月第190号 -

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『あすなろ通信』2017年10月第190号

発行
高松あすなろの会
主な記事

生活再建セミナー 家計簿つけたら生活が楽になる? パート3

破産や生活保護受給をきっかけに、家計簿をつける人が増えています。3カ月、6カ月、1年とつけているうちに、貯金や心に余裕ができたという話も聞きます。

等々一緒に考えてみたいと思います。

11月10日(金)夜7時から高松あすなろの会事務所「みんなで語ろう生活再建」

体験談『私は4歳〜私の買い物依存』

1日1万円

私は20歳代で精神病にかかり、買い物依存症も患っていました。必ず1日1万円使わないと気が静まらない、人よりも良い品を買い、着飾り、大手を振って歩きたい。そんな気持ちに囚われ、常に人が持っている物、身に着けている物が気になり、この人よりもあの人よりもといつも気が抜けない日々でした。

私の生い立ちはとても複雑で、父は本妻がおり長男は本妻の子、私と姉は、父方の親戚親類縁者から、常に「めかけの子」と言われていました。そんな私達を母は、必死にかばい慈しみ育ててくれました。父は、私、姉、母にDVをする様になり、生きた心地がしない毎日でした。そんな日々が何十年も続いてから、突然、父の商売の後取りと言う話が出て、義兄と実の姉が家を出て行き、私が継ぐ事になりました。

私の子供時代は、バブルの真只中でした。父親の商売は繁盛していました。3歳で保育所に入り、その頃は、母が毎日自転車で送り迎えをしてくれました。その時だけ母に甘える事が出来る時間でした。母は、お店のママさんでした。幼稚園に入った頃から、父から送り迎えはタクシーでする様にと言われ、母に甘える時間が無くなりました。私が、買い物依存症になった理由は、幼い時からの執拗なすり込みが原因でした。

父はいわゆる成り上がりで、信用出来るものは、母でもなく娘でもなくお金だけでした。 父からは、常に高級な物を身に着ける様に言われました。幼稚園に入った頃から、私や姉の身の周りの物は全て三越で買っていました。毎月お店の定休日の1日だけ、兄以外の家族で外食に出かけます。その時の服はオートクチュールのワンピースにボレロのセットとかです。母も同じように着飾って出掛けます。ジーンズ、Tシャツなどはご法度、着ている物で人の格が決まると言われ続けました。

成長するにつれ、すり込みは激しくなる一方でした。父は常日頃から、姉や私の着ている物をチェックして、タクシーでまた三越に連れて行きます。一応欲しい物は選ばせてはくれるのですが、最後は父が値段を見て何時も高い方を選びます。父の言い分は、「18,000円より38,000円、38,000円よりも69,000円の方が良いだろう」「安い物を買う奴は、安物買いの銭失い、ろくな奴でない」と言いました。そして、私達姉妹の金銭感覚はどんどん狂っていく事になりました。

差押え

私が32歳の時、早朝6:30分、突然「国税局です」と声が聞こえました。32歳の時、父が税金を滞納して実家、お店を差押えされました。当然お金も差押えられました。それから、母が「もうここには居られない」と父を置いて家を出る事になりました。もちろん私、娘、夫の4人です。

夫が、高松に家を借りてくれ引っ越しをしました。私は幻覚幻聴が有りながらも、娘を母に預け、パートに出ました。でも私の使ったローンもろもろは、付いて廻ります、頑張って頑張って借金の支払いをしてもお金は残りませんでした。その内、夫と関係もギクシャクして、離婚する事になりました。

生活保護

二進も三進も行かなくなった私は、ドンドン病状が悪くなり、変な小人が見える様になりながら、知人が紹介してくれた「高松あすなろの会」に相談し、生活保護を受ける事が出来ました。生活保護を受け始めてから、私は通院していた病院に入院しました。本当は入院したくなかったのですが、母から「娘の事可愛いと思うなら、まず自分の心を治しなさい」と説得され入院しました。

ローン会社からの電話や督促状が毎日来る様になり、精神的にまいってしまい、幻視幻聴はエスカレートするばかりでしたが、あすなろの会からは弁護士を紹介され、入院しながら自己破産の手続きを進める様にしました。

家計簿

破産のために家計簿を付けはじめてみると、随分お金を無駄遣いしていたのを知りました。通販で買ったコートの領収書の2万円弱の金額を家計簿に記入していたら、「これはおかしい」と遅まきながら思い始めまることが出来ました。

私が、買い物にこだわって居た頃、自分の子供の物は余り買っていませんでした。心の隅の方で子供も買い物依存にしてはいけないと思っていたからです。私は、父から「すり込み」でしたが、子供に私が「すり込み」をする事が許せませんでした。

母の協力による金銭管理のリハビリを思いつき、とりあえず母にお金を預け必要な分だけを使うようにしました。買い物をしたいとゆう欲求はフツフツと湧いてきて、どうにかしてお金を使いたいと言う願望は消えません。そこで、母からの提案で、私が買い物リストを作って買い物に行くようにしました。それでもまだ買いたい欲求は無くならず、買い物のお釣りを返さず使ってしまう事が多々ありました。私はつくづく自分が嫌になり、買い物も辛い時期が有りました。そのことで2か月ほどの引きこもりもありました。

そのうち、母へ自分からお釣りを返す様になりました。その頃はとても辛かったのですが、今は大分と買い物欲求が減少したので、買い物のお釣りの小銭はお小遣いにしても良いと言われる様になりました。少しずつお金を置いておく事が出来る様になり、今は、自分の小遣いを貯めて、少しだけ欲しい物を買える様になりました。

振り返えってみると、何と愚かな人間だったのでしょう。買い物依存は、生易しいものではありません、隙有れば「これくらいなら大丈夫」という恐ろしい考えが湧いてきます。 それは今もあります。ただ私は、子供と母と姉にこれ以上の苦労を掛けたくないと思い、今は家計簿をつけていませんが母とのリハビリを続けています。自分のお小遣いをどうやって貯めるかを考えています。最近子供から普通になったねと言われ嬉しく思っています。でも、虫はウズウズします、一生掛かるかも知れませんけど頑張ります。私が自己破産出来た時は36歳。私自身その時生まれ変わったので、現在40歳ですが私はまだ4歳です。

まだまだ幼い自分に苛立ちながら、見守ってくれた母に聞きながら暮らしています。千円を握りしめて夕食を買いに行く事が、私の誇りです、お母ちゃん 有難う。

母の節約の仕方

「買い物は歩いて行こう。」「ご飯を食べてから行く」「カートは押さない」「籠の重さはお金の重さ」「メモに書いてない物は買わない事、その日に食べる分だけ買う」など

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